「全力」と「本音」を武器に、本当に“世界に必要なもの”を生み出していく

CEO / Founder片田 武利

Profile

1978年10月31日、東京都出身。株式会社ランウェイ代表取締役、株式会社EPARKリラク&エステ取締役。高校卒業後から大規模ポータルサイト、音楽・クラブイベントに特化したコミュニティサイトなど、数多くのサービス立ち上げに参画。その後インターネット業界・モバイル業界を渡り歩き、株式会社ランウェイを創業する。

さまざまな旅の末に見つけた「なりたい大人」の姿

幼いころから、片田武利はものづくりが好きだった。母方の実家が建築業を営んでいたため、家のなかにはいつも設計図やコンパスが転がっている。遊び場はもっぱら、建築士だった祖父の作業場だ。目の前にある材料を手に取り、組み立てたり壊したりしながら、成長していった。

「いま振り返れば、自分が手を動かした結果なにかが出来上がるということが、面白かったんだと思います。目に見える成果が楽しかった。どこでどう間違えたのか、市販のキットで作ったロボットが、電池を入れた瞬間にその場でくるくると回転してしまった……なんて失敗もありますが」と、笑う。

高校を卒業するとき、これからどんなふうに生きていこうかと考えた。祖父の後を継いで建築をやるために、いっときは家具職人になろうと思ったこともある。「手先が器用だ」と言われることも、少なくなかった。

「でも、立派な建築士や職人になるためには、果てしない修行や勉強が必要です。なのに、家や家具をつくっても、幸せにできるのは目の前にいる人だけ。超有名な建築家になって新国立競技場クラスのものがつくれれば話は別だけど……もっと現実的な範囲で、できるだけ多くの人に影響をもたらすものづくりがやりたいと考えました」

とはいっても、具体的なアイディアはない。そのまま、片田は旅に出た。自分が何に心を動かされて、どんなことに幸せを感じるのか、いろんな体験をしていくうちに何かしらのヒントが見つかるような気がする。国内外をあちこち見て回った。

「徒歩とヒッチハイクをメインに、いろんなところに行きました。僕は東京育ちだったからか、地方の人たちがとても温かく感じて……。たとえば、明石で野宿しようとしていたら、明石焼きを買ったお店の方がご自宅のガレージを貸してくださったり、冬の岡山で凍死しかけたときは、露店をやっている外国人の方に毛布をもらったり。こういうふれあいっていいな、と思いました」

ロンドンに行ったときは、広い街中で迷子になった。二階建てバスに乗り、NIKEのショップを探して地図を見ているのに、なかなか見つからない。近くに座っていた青年につたない英語で聞いてみてもわからず、あきらめようかと思ったそのとき、青年が周りの乗客たちから情報を集めてくれた。おかげで数十分後、片田はロンドンのNIKEショップにたどり着いていたのである。

「異国の地で初めてのバスに乗り、行ったこともない場所へ向かうために母国語ではない言語を使って、見知らぬ人に質問をする。そして、その質問が拡散され、ほしかった答えがもたらされる……。日本でただ暮らしていたら巡りあえない不思議なシチュエーションに、静かな衝撃を受けました。世界はじつはとても近いし、どんなことだって起こりうる。視野を広げていかなければ、これから先どんな仕事でも太刀打ちできないような気がしました」

結局、片田が人生の指針を手に入れたのは、東京・青山。骨董通りの焼酎バーで働きはじめ、まずは「なりたい大人」の像を見つける。

「その店には、さまざまな分野で成功している大人がたくさんいらっしゃいました。まだ20歳そこそこだった僕は、お酒をつくりながらいろんな話を伺っていた。僕が将来なにをするのか、心から心配してくださる方もいましたね。そこで出会うみなさんは、社会的に大きな成功を収めている方々なのに、とても優しいんです。差別も忖度もなく、僕みたいな若造にもフラットに接してくれる。おかしな物差しを持たない視線を感じて、本当にかっこいいと感じ、『こんな大人になりたい』と気持ちが決まったんです」

そのためにはまず一人前に働いて、自分の納得がいく成果を出す必要がある。勝負の場としてインターネット業界を選んだことには、さほど強い理由はなかった。

「以前から音楽系のWebサイトを閲覧したり、チャットで会話を楽しんだりするところから入って、自分でもサイトをつくっていたんです。つくったものにすぐ反応をもらえるのが面白かったんですよね。この道に進んでみようと思ったけれど、専門的に学んでいたわけではないから、なかなか仕事にありつけなくて……今ほどWeb関連企業があるわけでもないのでどこにも就職することができず、自分で営業してWeb制作を取ってきたり、時にはここでは言えない不甲斐ない仕事もしていました。しばらくは実務経験を積むことだと覚悟を決めて、第一歩を踏み出しました。」

片田にとってインターネットのものづくりは、幼いころに目の前にあるものでつくった工作と似ていたのかもしれない。自然と楽しくできて、面白い。少し違ったのは、インターネットならつくったものに誰かがリアクションをくれることだ。世界中に広く届けることだってできる。この道だったら極めたい。「極められるとも思いました、若気の至りですね」と、口の端を少し上げる。

本当の「全力投球」は、頭をフル回転させて挑むこと

骨董通りの路地裏にあった焼酎バーは、店を出ると遠く正面に、六本木ヒルズが見えた。若い片田にとって、それは成功の象徴だ。ポータルサイト制作の仕事を5年ほど続けるうち、次はヒルズに挑戦したいという想いが芽生えていた。

「六本木ヒルズのベンチャー企業に就職して、IT業界の第一線を経験する。次に業界最大手に就職して、大手ならではのものの考え方やダイナミズムを体感する。その先で、自分の会社を作ろうと決めていました。学歴があるわけでもない僕が、インターネットのものづくりを極めていくには、さまざまな経験をさまざまな方向から積むしかない。六本木ヒルズという成功した企業の集う場所で、そのノウハウを学んでいきたいと考えたわけです。階段を上がれば上がるほど、見える景色は広がりますよね。人生も同じで、まずは階段を一番上まで登ってから、自分の好きな景色のところまで降りてくればいい。そんなふうに教えてくれる人がいて、僕もまずはてっぺんを目指そうと思ったんです」

そうして入った六本木ヒルズのKLab株式会社は、企画力が売りのIT企業。片田は、自社プロダクトのWebマーケティングと、受託モバイルサイトのUI/UXやSEOを手がけた。ポータルサイトの現場で制作をやりきったから、次はそれをどれだけ広めるかという仕事をしてみたかった。

「語弊を恐れずに言うならば、本当に頭がおかしいのかと思うほど働きました。仕事の合間に給湯室のシンクで頭を洗うくらい、忙しかった。でも本当に楽しかったんです。昼間はめちゃくちゃ働いて、夜になったら六本木で明け方まで飲んで、仮眠を取ってまた働く。誰もがすべてに対して全力でしたね。中途半端にやっているのが一番だめで、何事も全力でやるから成果が出せるんだということを学びました」

4年後、紹介を通じて楽天株式会社に移籍。モバイルサービスの責任者として、さまざまなサービスを取り仕切り、業界最前線の会社で「売上を上げる」という業務に打ち込む。大きな媒体で事業開発をし、サービスを動かしていく経験が積みたかったから、望み通りのポジションだ。そしてその経験は、自分で会社を立ち上げるときにも必ず武器になるはずだと確信できた。

そして、自分の人生計画を立ててからわずか12年。片田は宣言どおり、自分の会社を興した。

「僕自身にもやりたいことはたくさんあるけれど、自分が形にすることにはさほど執着していません。それよりも、誰かの1を100にしていくほうが得意。その考え方で本気の仕事をしていけば、まずは世の中のためになる会社がつくれると思いました」

ネットワーク設備の「LAN(Local area network)」と花道を表す「Runway(ランウェイ)」をかけあわせた社名「LANWAY」は「ひとつの“つながり”で大きな花道を作ろう」という意味だ。生活を豊かにするツールとしてインターネットを駆使し、リアルな暮らしに役立てていきたい。消費者に役立つデジタルを生み出していくために、歩きはじめた。

「LANWAYではいままでなかったものを、誰もが認めるものを、つくりたいんです。そのためには、やっぱり全力投球すること。いまの時代には合っていないスタイルかもしれないけれど、心持ちはいつだってそうありたいと感じています。全力で取り組むからこそ自分たちが楽しくなれるし、サービスを届けた先で、ユーザーの感情を揺らすことができるものだから。もちろん、何も考えず全速力で走ることとは違いますよ。無駄なことや形だけのことは一切しない。クライアントのために必要なことを考えて考えて考えて、本当にそれが正しいかを常に俯瞰しながら、力を注ぎこむんです」

エネルギーの要らない仕事に、興味はない

事業が苦しいときにいつも助けの手が差し伸べられたのは、そんなふうに片田自身がいつも全力だったから、でもあるだろう。とくに創業した2011年3月は、東日本大震災のあった時期。広告業界は大打撃を受け、LANWAYもその影響を免れなかった。片っ端から名刺を配り、必死で営業をして、LANWAYの歴史をつないできた。

「LANWAYの武器は、クライアントに心から向き合った提案と、建前や忖度のないコミュニケーションです。主な仕事はWebサイトやアプリの受託制作ですが、言われたことをただ請け負うだけではありません。大切なのは、お客様と二人三脚で事業を共創していく意識。だからこそ、本当にその事業がユーザーの役立つものになっているかというジャッジは、厳しいですよ。『これは本当に意味がありますか?』『これは無駄です』といったネガティブなことだって、包み隠さずお伝えします。お互いが言いたいことを言い合い、それぞれに役割をまっとうすることから、いいものが生まれると信じているからです」

とはいえ、クライアント相手にいつも本音をぶつけることには、勇気が必要だ。真摯に向き合うためには、生半可でないエネルギーも要るだろう。毎度大変ではないかと問いかけると、片田は「そうですか?」と事もなげに言った。彼にとって仕事とは、もともと全力を傾けるものなのだろう。それが当たり前だと思っているから、大変にも感じない。

「もしかしたら世の中には、こなすだけでいい仕事のほうが気楽にできるという方が多いのかもしれません。ただ、僕らのように一心不乱で仕事に取り組む人間が少数派だったとしたら……それこそが、僕らがクライアントに選んでもらえる理由なのだと思います。クライアントの立場に寄り添って、もしかしたら相手以上に事業のことを考えて、本音でぶつかる。だからこそ同じ目線で話せる“パートナー”が務められるんでしょう。『偉い人についていく』『下っ端だから遠慮する』『まだ若いから』とかじゃないんです。いいものをつくるためには、遠慮も忖度も要りません」

そこには、片田が若き日に憧れた「なりたい大人」の姿も重なる。ただ、片田は「全力で仕事をすること」だけでは、満たされないという。なぜなら、全力を出すことはただの手段だから。クライアントの目標を達成するために全力を注ぎ、本音で向き合っているだけで、その作業に酔っているわけではない。でも、その道を経たからこそ生まれるよいものには、大きな喜びを感じる。

「クライアントが望むことを叶える仕事は、僕らにとっていつも新鮮です。『小売事業をこうしていきたい』『エンタメのここをもっとよくしたい』といった課題のなかには、畑違いの僕らには思いつかないことも多い。でもそのおかげで、自分たちだけでは手が伸ばせない世界にも、サービスを通じてリーチできる。勉強は必要になるけれど、広い範囲で“世の役に立つものづくり”ができるのが本当に楽しい」

これからは、消費者寄りのサービスにももっと関わっていきたい。とくに、多くのユーザーがふれる行政や国の案件には、強い関心がある。つくりの甘いサービスを見ると本当に腹が立つし、「これは心の底から真剣に考えたのか?」「これを世の中に出して、誰が喜ぶのか?」と怒りを感じることも少なくない。

「LANWAYが世に出すものには、それだけの価値をつけたいし、責任を持ちたい。そんな思いが高じて、次は自社事業を手がけることも視野に入れています。そのうちのひとつは、24時間対応の託児所です。子どもが生まれて忙しくなることで、夫婦仲が悪くなるって話をよく聞くでしょう。それじゃあ本末転倒ですよね。だから、そこをサポートできる事業がやれたらなと思う。たとえば、子どもを預けた夫婦が旅行に行っても、ホテルからオンラインで子どもの様子が見られれば、それだけでも安心度が違います。ネットとリアルを融合して生活をよりよくするって、究極はそういうことだと思うんです」

片田にとって、インターネットはそういうものだ。ITは、広く世界とつながって暮らしを変えていくためのツール。すべて、誰かの人生をよりよくするためにある。「全力」と「本音」を携えてLANWAYが歩みを続けていくかぎり、ものづくりの喜びは、拡大し続けるばかりだ。